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アンコール遺跡群の調査・保存・修復と上野邦一先生

 ここでは、アンコール・ワットと上野先生とのかかわりに関して簡単に紹介します。

 アンコール・ワットの調査は、19世紀から20世紀にかけてフランスの極東学院の研究者が中心になって推進されてきました。1970年以降、カンボジアが政治的混乱に陥ると、フランスの研究者達も一時撤退せざるを得なくなりました。その後、内戦が終息すると、カンボジア自国による調査・保存・修復がスタートし、それを各国が支援するという形での国際協力が行われるようになります。  日本においては、上智大学の石澤良昭先生が、未だ内戦の収まらない時代からカンボジアに入って、アンコール・ワットの調査を継続していました。石澤先生は、フランスに学びつつも、上智大学アンコール遺跡国際調査団を立ち上げました。1989年にラオスでの遺跡調査に携わった上野先生は、1991年、上智大学アンコール遺跡国際調査団に加わることになりました。

 先行研究者であるフランス人に学びつつ、調査を継続する中で、上智大学の石澤良昭先生は、カンボジアのすばらしい遺跡群が、カンボジアの人々のものでなければならないと強く感じるようになります。そして、カンボジアの遺跡が「カンボジア人の、カンボジア人による、カンボジア人のための」調査・保存・修復でなければならないと考えて、調査と並行して、遺跡の保存・修復を担う、カンボジア人の育成にも力を注いで来られました(石澤良昭「カンボジア人の文化遺産をカンボジア人が守る」(『外交フォーラム』254、2009年9月)。

 1992年以降、カンボジア人の専門家を養成するために、現地に研修所がおかれ、12世紀末に熱心な仏教信奉者であったジャヤヴァルマン七世が建てたといわれるバンテアイ・クデイという寺が実習地として選ばれました。

 研修が始まってほぼ十年目の2001年、このバンテアイ・クデイの土中から、274体もの埋納された廃仏が発見されました。このように大量の廃仏が発見されたことは長年のフランス極東学院による調査においても例がありませんでした。またこの発見によって、従来のアンコール王朝の歴史は、その通説を大きく塗り替えることになりました。また、この発見によって、他の同時代の仏教遺跡である、有名なプリヤ・カーンやタ・プロームなどにも、同様に廃仏が埋められている可能性が高いことを示唆することとなり、訪れる者の想像力や期待を大いに膨らませてくれます。

 掘り出された仏像は、廃仏による破壊を受けており、残念ながら完型品は少ないものの、クメール芸術の美しさを彷彿とさせる魅力的な仏像群として、見る者を魅了してやみません。これらの仏像を収納・管理するために、シアヌーク・イオン博物館があらたに設置され、現在はそこで展示されたこれらの仏像を鑑賞することができます。このシアヌーク・イオン博物館では、観光客に展示品を見せる機能を担うだけではなく、地元の子供達に文化財の大切さを知ってもらうためにワークショップを開くなど、啓蒙活動にも力を入れています。

 さて、このような世紀の大発見に遭遇した日本の上智大学アンコール遺跡調査団ですが、発見したときの発掘責任者が、奈良女子大学の上野邦一先生でした。

 上野先生は奈良文化財研究所において長年、発掘調査に携わって来られましたが、境内にトレンチを入れたところ、偶然にもこれらの廃仏が発見されました。その当時の詳しい経過については、『カンボジアの文化復興(19)』(2002年、上智大学アジア文化研究所)を御覧ください。

 以上、バンテアイ・クデイというカンボジア人のための研修の実習地において、大量の廃仏が発見され、歴史が塗り替えられ、あらたに博物館が一つできるほどの大発見の過程を見てきましたが、その一連の過程において一貫して貫かれているのは、調査団の「カンボジア人の、カンボジア人による、カンボジア人のための」調査・保存・活用でなければならないという堅固な信念です。  今回、我々は、上野先生にこのバンテアイ・クデイを案内していただきましたが、先生とカンボジアを旅行している間、我々もいたるところで上野先生から、カンボジア人に対する愛情とこの信念を熱く感じました。

* 東南アジアの遺跡と上野邦一先生とのかかわりについては、先生ご自身がお書きになった「ワット・プー遺跡との二ヶ月――ラオスでの発掘調査と私」(『おもしろアジア考古学』1997年、連合出版)にいきさつが書かれています。おもしろいので、興味のある方はぜひご一読ください。